昔なつかし写真

 太田市尾島町の高橋和男さん、政夫さん親子が所有していた昭和時代の写真について、高橋政夫さんにお話をうかがってみました。
 白と黒だけの世界なのに、温かな、それでいて胸がしめつけられるような気持ちが、じわじわと湧いてくるのは、なぜなんでしょう…?





 上の写真は、昭和27年の尾島祇園屋台です。「屋台が、道幅いっぱいの大きさです。この屋台の上で、芝居や踊りが披露されたりしました」尾島三丁目の会館には、もっと古い屋台の写真が飾られているそうです。





 尾島祇園で、尾島三丁目の子どもたちが担いだ「子ども神輿」です。昔は、こんなにたくさんの子どもたちがお祭りに参加していたんですね。





 昭和30年初め頃に、現在の県道142号で行われた七夕祭りの飾りです。「これは小堀商店さんの七夕飾りです。にわとりだから、酉年に撮影したのかな?「し料」、とあるのは、扱っている商品だと思う」





「尾島二丁目の伏島化粧品さんの七夕飾りです。江原本屋さんあたりから撮影しました」





「田中さん田中さん…誰かわからないけれど、並んでいるのは消防の人たちだと思います」





 昭和30年頃、現在の県道142号で行われた朝のラジオ体操です。「昔は、プラタナスが沿道に植えてありました。白線の内側の幅が1.8か2メートルくらいあって、未舗装だったんですけれど、そこで夏休みに、ラジオ体操をやりました」



 高橋さん宅は、2012年の8月に類焼火災に遭い、保管していたたくさんの写真が消失してしまいました。しかし、端が焦げついた写真が、現在もいくらか保管されており、時間がある時に、焦げた部分を切り取る作業をしているそうです。
 「最近は、また少しずつ写真を撮り始めました。気が向いたら、コンテストに出品したりします。カメラはいつも持ってるので、面白い風景があれば、撮影しています。孫をモデルにして撮影するのが、一番の楽しみです。デジタルカメラも世話なくていいけれど、まだフィルムカメラを使っています」



 高橋さんによると、まだほかにも、町内に古い写真を保管しているお宅があるのではないか、とのこと。「今度、まだ保管しているか聞いてみますよ」
 いつか、たくさんの古い写真が集まって、昔なつかし写真展が開かれたらいいのになあ…。



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