ねぷた絵を描く

 2007年の夏に編集した、「夏色雑記町」というwebサイトに掲載された記事を、再掲載いたします。あれから、ざっと10年ほど経ちました。尾島ねぷたまつりは、どんな進化をとげましたか?

〜ねぷた絵を描く 橋本直樹さん〜



 丁寧に、ねぷたの土台となる「開き」に描かれた牡丹の葉に、緑色を入れていく。葉の先端に行くほど淡くぼかした感じになるよう、刷毛の半分に染料、半分に水を含ませ、色を塗っていく。「見ないだろう、誰も土台なんか」と、橋本直樹さんは言ってみる。それでも、橋本さんはこの地道な作業にも決して手を抜かない。
 今年は、3体のねぷた絵制作を依頼され、5月中旬頃から作業を開始した。昼間は仕事をしているので、1日中制作作業に取り組める日はそれほど多くない。尾島ねぷたまつりが始まる8月中旬まで、3体のねぷた絵を完成させるためにかける時間は、賞味1ヵ月だという。



 橋本さんは、はたから見ても余り手を抜く性格ではない。電池切れしてしまうのでは、と聞いてみると、橋本さんは「段取り」と笑顔で返す。例えば、ねぷた3体の絵を描くなら、「開き」の牡丹などまとめてかけるものは3体分描いてしまう。「そうすると、牡丹を描くくせがついてくる。同じ色、手順を繰り返せば、身体が慣れてくる。違う作業をしてリセットするより、効率的だし結果も向上する」



 2年前話をうかがった時に、橋本さんは、ねぷた絵は「楽しいから描く」と言い切っていた。しかし、今は「楽しいから、これでいいのか、というところも出てくる」と言う。墨描き、ロウ描き、着色など、それらについてまだまだ学ぶことがたくさんある。「やっと、技術とかがわかってきたところ」。



 橋本さんが今目指している絵師は、三浦呑龍氏と、村元芳遠氏だという。「三浦さんはすごく綺麗にきっちり描く。かすれさせず、太いところは太く、細いところは細く描いているけれど、線の太さを一定に保てる。村元さんは、線の太さを極端に変えて描いている」
 二人の対照的な絵師のいいとこ取りをしたいと橋本さんは言う。「絵を頼む人が綺麗に描いて欲しい、と言えばきっちり綺麗に。勢いがいいものを描いて欲しい、と言われれば線の太さを極端に変えて描く。1人で色々なパターンを描き分けるようになれればいい」



 ふと、自分流、つまり自分だけの特徴を持たせた画風は目指しているのか、と尋ねると、明確な答えは返ってこなかった。「万人受けは無理。特徴を出していけば、なおさら。でも、お祭りでは色々な絵があったほうがいい」観客によって好みはそれぞれ違うから、と。
 しかし。今の時点で、橋本さんにその答えを性急に求めるのは大きな間違いだと気づいた。橋本さんにとって今は、色々なものを吸収していく時間なのだ。



 性急に自分流を求めれば、吸収しよう、という意識が薄れ、その結果も中途半端なものに終わってしまう。いつかは、吸収したものの中から何かを捨て、選び出し、組み合わせ、新しく加え、自分流を作り出す。今、橋本さんは目指す絵師たちから様々なものを学び取ろうとしている段階なのだ。


 だが、そうした中でもやはり、若者らしいチャレンジ精神も作品に垣間見せる。例えば今年描いた見送り絵もその一つ。いくつもの手を持つ千手観音を、正面から描ききったものだ。見送り絵は、美人が少しななめ横を向いたりしている構図が大多数だ。正面だと、線対称に絵を描くのが難しいからだと言う。橋本さんが描いた千手観音は、指の節々までふくよかさが感じられる、細やかなものだ。「神は細部に宿る」というが、この絵からはまるで仏が宿ったかのような、安らぎの感がある。



 橋本さんは、ここ数年、ねぷた絵制作だけでなく、ねぷた囃子やねぷたの会議にも力を注ぎ、あちこちで奔走している。そんな彼のエネルギーの根源は、一体何なのだろう。 「ねぷただな」 と、橋本さんは返す。 筋金入りの「ねぷたばか」なのである。



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