金 山 遠 景
金山城は1469年に築城されました。当時はどんな時代かというと、築城の2年前に有名な?「応仁の乱」が起こるなど、足利幕府の力が弱まり、各地で戦国大名が出始めるなど全国的に不安定な戦乱の時代でした。
金山城は、城の種類としては「山城(やまじろ)」になります。簡単にいうと“戦争のための城”です。その名のとおり山につくる城で、急な斜面や岩盤を利用し、柵を巡らせたり、土を盛ったり、堀を掘ったり、石垣をつくるなどしました。本丸を含め「城」といっても“砦”のイメージが近いです。
ちなみに皆さんがよく想像する天守閣をもつ姫路城などの城は、「平山城(ひらやまじろ)」や「平城(ひらじろ)」といい、主に江戸時代=平和な時代につくられた城です。権威の象徴みたいなものです。
さて金山城を築城したのは、当時この周辺を支配していた岩松家純(いわまついえずみ)という人です。岩松氏は新田義貞を輩出した新田氏の一族です。
この岩松氏はのちに重臣であった横瀬氏の下克上にあい、城主の座を奪われてしまいました。この横瀬氏がのちに由良氏に改姓し、由良氏の時代に金山城は全盛期を迎えます。
金山城は上杉謙信やら武田勝頼やら超メジャーな戦国大名を含め何度も攻撃されましたが、一度も落城することなく難攻不落を誇り、「関東七名城」の1つとされています。
その後、1585年、小田原北条氏の謀略により北条氏が主となりますが、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐により廃城となりました。